友人の知り合いの人から教えてもらって
小谷元彦展 幽体の知覚ってのをみてきまんた
造形だから多分好きだよ!ってなノリで
行ってみたら現代美術。造形はどうやって作ったのか気になるようなものは沢山あったけど
結局は表現の方法だよね。細かいところを作りこむってところを趣旨としたものではないね
でも、行ってみて、現代美術ってこうゆうものなのかなってのを感じたのでメモ
まぁ、自分が芸術評論家みたいなことをしてる人ではないので、そこらへんはそうゆうことってことで
実際美術作品をどうやってみればいいかは自由だと思うんだけど、
幽体の知覚の最後の展示スペースで小谷元彦さんのインタビューがあったどうやって作ってるのか一部みれたり、何を考えて作ったのか聞けたり。
なんかを表現することをずっと考えててぱっと答えが出てきて、作ったってのがあるっていってた。
それを聞いてちょっと納得した。
それは美術館は答えの発表会みたいなものってこと。
あの人は今回の展示にある内容を考えて、なんか感じて、それを表現しようとしてたとして
それで、こうやったら表現できる!って答えが見えてきて作ったのが作品
だとしたら、美術館の展示はある問題に対する答えを発表しちゃってる場所
それがあってるのかどうかは知らんけど、その人の中の世界ではその作品が答えになってるってことだろうね
で、もしそれが評価されてるんだとしたら、それは評価してる人にとってその表現方法が答えだったってことなのかな?
そうでないと、評価ってやりようがない気がするしね
つまり評価してる人は答えが見つけられなかった人で、答えをみて納得した人ってことだね
自分は造形に関してはすごいなーと思ったけど、それがいいのか悪いのかわかんなかった
それは、問題をよく考えてないからかな
評価する人はそれがどれだけ難しいかよく分かってて、答えを見たときにすごいと感じたんじゃないかなぁ
ってことで、現代美術を見るときは、背景をよく理解した上でみるとそれが自分にとってよいのかどうか判断できる場所になるのかなって思った
まぁ自分が見に行ったのは造形のプロってどんなすごい技術を持っているんだろうとか期待していったから
ちょっと見てる部分が違ったようなきがする
むしろWFのほうが参考になったように思うね